「自分の考えをまとめて述べる・書き出す」
道徳の授業と言うのは、その道徳的なことを学ぶ時間だけでなく、
自分の考えをまとめて述べる・書き出すスキルを積み重るためかもしれません。
娘のクラスで
今週中に1年分の道徳の教科書の中の自分の考えについて空欄をまとめるという宿題が出ています。
主要科目ではないかもしれないけれど、上記のように考えれば、とても大事な科目であるにはかわりないはず。
でも先生の方針なのか、あまり道徳の時間は行われずその時間は他のことをしていたらしく、200ページの教科書のほぼ丸っとが空欄を埋められずに残っている、春休み1週間前。
先生の方針に対する疑問はさておきながら(これに関してはたくさんの疑問が残る1年でした、また年度が変わったら色々書こうかな・・)、
200ページの中の空欄を、今週中に埋めなければいけないという宿題に対して娘が感じるプレッシャーは、
”できるのか分からないという不安”から
”(こんなに大量をこんなに短期間で)できっこない”
に変わってやりたくないモードへ。
大人にでさえ、自分の考えをまとめて述べると言うのは簡単な行為でない中、ある意味当然。
でも、だからってやらなくていいよ、って訳ではない。
生きていく上で大事なことが盛り込まれているし。
自分の考えをまとめる、というのは、授業であるないを度外視しても大事な行為、練習するまたとない機会。
こんな時は、やっぱり伴走するって行為が必要だなぁと感じます。
「ママと一緒にやろうか」と声をかけ、
彼女のやりやすい場所で取りかかれるタイミングを見計らう。
それでもイヤイヤのスタートなので、教科書を読んでも、質問の意図が汲み取れない。
冒頭は自由と自分勝手について。
”自由ってどういうことだと思いますか?”と設問。
(私:なかなか難しい問いだなぁ・・)
娘「こんなの考えたことないし!」
私「じゃあ自由じゃないなぁって感じる時はどんな時?」
と娘に問いかけ。
私「出て来た答えの反対が●●の今感じている自由なんだね」
そんなことを繰り返し、30分ほど付き合ったら、50ページまで進んだ。
(ご存知の通り文章読むだけのページも多いので)
そこからは、一度エンジンのかかった車が走り続けるのが容易なように、
一度こぎ出した自転車でのお出かけが凸凹あっても楽しさと変わるように、
娘は自分でできるところまで自走しだし、結果150ページまでいったようです。
ゴールが見えて、2人とも一安心。
ゴールが見えなきゃ、やる気が起きないのはなんでも同じ。誰でも同じ。
どうやってやったらいいのか、やり方が見当つかなければ不安なのはなんでも同じ。誰でも同じ。
完璧にやらなきゃ、と思ったらハードルが高くて手がつけられないのはなんでも同じ。誰でも同じ。
そんな時は、少し先に経験した人やその道のプロが寄り添って伴走するだけで、いつか自走ができるようになる。
お家やオフィスのかたづけも、洋服のコーディネートも、思考の整理も同じ。
先輩オーガナイザー吉川圭子さんのこんな良記事もぜひご参照ください!
次回は、私が伴走してもらった事例もご紹介しますね^^
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ママが2泊3日で家を空けても家族が困らない仕組みと関係性をつくる仕掛け人・マスターライフオーガナイザー®のあがたよしこでした^^